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SHUNZO OHNO大野俊三 日本オフィシャルサイト

BIOGRAPHY

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大野 俊三SHUNZO OHNO<ジャズ・トランペッター>

1949年岐阜県岐阜市出身。

1974年、アート・ブレイキーの誘いでニューヨークへ渡る。数々のジャズの偉人との共演を経て、ノーマン・コナーズの “ダンス・オブ・マジック” に参加、3年間にわたり世界ツアーを行う。ノーマンのバンドでは「バブルス」の作曲・編曲を担当し、そのシングルレコードはゴールド・ディスクとなった。その後、 “マチート&アフロキューバンズ” の一員としてアメリカ、欧州、南米ツアーに参加。大野のソロをフィーチャーしたアルバム『マチート・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド』は、1984年度グラミー賞に輝いた。1983年には ”ギル・エヴァンス・オーケストラ” に参加し、アルバム『バド・アンド・バード/ライブ・アット・スイート・ベイジル』で2度目のグラミー賞を受賞。

1988年に交通事故に巻き込まれ、唇を切り、前歯を折るなどトランペッターとして致命的な危機に陥るが、強靭な精神力で見事に復活し、バスター・ウィリアムスのクインテットに迎えられ活動を再開。さらに、1996年には扁桃ガンを宣告され、片側の唾液腺と神経を除去するという大手術により再びトランペッターとして致命的障害が受けるが、不撓不屈の挑戦により、楽器を一から始める状態から奇跡の復活を成し遂げる。

1998年の後半から1999年にかけて、ジャズ界の巨匠ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコックとも共演し、1998年11月に行われたショーターのジャパン・ツアーの一員としても来日し、好評を博す。1999年にはギタリストのラリー・コリエルのワールド・ツアーにも参加。

2001年12月、今までの実績が評価され、U.J.C.(ユニバーサル・ジャズ・コアリション&ニューヨーク・ジャズ・センター)より「アジア・アメリカ・ジャズ・コネクション音楽部門」芸術的貢献賞の第1回受賞者となった。

2014年、世界最大級の国際作曲コンペティション “International Songwriting Competition” において、宮本武蔵をイメージして作曲した「Musashi」が120ヵ国約2万人の応募作からグランプリ(総合最優秀賞)を獲得。13年間のコンペティションの中で日本人初、ジャズ部門ノミネートからも初の快挙となり、アメリカでも数多くのメディアに報じられた。

2016年、アメリカの著名なジャズ・ジャーナリスト/プロデューサーでグラミー賞選出委員でもあるArnaldo DeSouteiroが主催する 第38回 “Annual Jazz Station Awards/The Best Jazz of 2016″ にてアルバム『ReNew』(Pulsebeats Records) が最優秀賞を受賞。

2017年、”International Songwriting Competition” 137カ国約1万6千人の中から、アルバム『home』(Pulsebeats Records) 収録の楽曲「Go On」がジャズ部門最優秀賞を受賞。